プーチンの正規軍がウクライナ東部に侵攻した22日―
首都キエフのフレシャーチク通りをウクライナ軍の兵員輸送車が、鈍いエンジン音を撒き散らしながら走っていた。
老兵の姿が目につく。軍は兵員の確保に苦労しているのだろう。
田中はウクライナに来て間もなく2ヵ月になるが、フレシャーチク通りでウクライナ軍の兵員輸送車を見るのは今回が初めてだ。
ウクライナ軍は東部ドンバスに兵力と神経を注がねばならない。このため首都キエフの守りが疎かになる、との見方がある。
21日、自称ドネツク共和国とルハンスク共和国を国家承認したプーチン大統領が、直後のテレビ演説でロシアの独裁者ならではの説を述べた。
「今のウクライナを作ったのはコミュニスト・ロシア(ソ連)」というのである。
ソ連がウクライナに作ったもの。それは圧政と恐怖政治だった。
~コミュニスト・ロシアに戻りたくない民族のDNA~
1932年から33年にかけてウクライナに大飢饉が発生した。
ソ連政府は第一次五か年計画を成功したかのように見せるため、急激な農地の集団化と小麦の強制徴発を行ったのである。犠牲者数は400万人から1,450万人と言われる。
道端には死体が転がり、親が子を食うなどの人肉食が横行し警察も取り締まりを断念するほどだった。明らかにジェノサイド(集団虐殺)である。
田中の通訳をしてくれている男性の祖父はレーニンの悪口を言っただけで、警察に逮捕され極寒の地に流刑された。
ソ連による圧政はウクライナの人々のDNAに深く刻まれているのだ。
一部のロシア系住民を除けばロシアには戻りたくないというのが、ウクライナ国民の本音である。
~終わり~