ガザ最北部のアル・アトゥラ村はイスラエルとの境界まで指呼の距離だ。村に差しかかる幹線道路の入口には世界屈指の強さを誇るイスラエル・メルカバ戦車の残骸が飾られている。北から侵攻してきたメルカバ戦車をガザの武装勢力が、対戦車バズーカ砲で撃破したものだ。村が激戦の地となったことを物語っている。
村に入ると目に飛び込んできたのは砲撃で壁が吹き飛び今にも倒れそうな家屋だった。1階部分は崩壊しているため2階部分が地上との出入り口となっている。写真を撮ろうと近づいたところ子供が一人二人と出てきた。廃墟で遊んでいるのかと思ったらそうではなかった。2組の家族が住んでいるというのだ。
昨年、筆者が訪れた時、村人たちは「テント村」で暮らしていた。安全なテントを離れて危険な廃墟で暮らすには、何か事情があるはずだ。
住人の一人シェイマ・アロさん(15歳)に、イスラエル軍が侵攻してきた時からの模様を聞いた。シェイマさんによるとこうだ―
イスラエル軍は先ず水と電気を停めた。村人たちはバスやトイレタンクの水を飲んだ。イスラエル軍から「出て行け」と言われたので、周辺の国連施設に身を寄せた。戦争が終り帰村、テント暮らしが始まった。
それから4週間後のことだった。今度はハマスが来て「出ていけ」と言われた。結局、(廃墟でも)かつての自宅に戻るしかなかった。(以上シェイマさんの話)
テント村で暮らしていた260人はこうしてハマスに追い立てられた。テント村には世界各国からジャーナリストが取材に訪れていた。ハマスは戦略要衝の地の内情をジャーナリストに探られることを警戒した。そのため「テント村」の撤去にかかったのだ。
村人たちは「自民族の軍隊」に迫害されたのである。戦争の不条理という他はない。
(つづく)