ガザ市東部のアル・ジャディーダ地区は、小麦畑が青々と広がる田園地帯だ。草いきれと土の匂いが長閑さをたたえているが、イスラエル国境に隣接するため緊張が絶えない。モスクや民家の屋根にはためくハマスの旗が緊張感を増幅する。
今回のイスラエルとの戦闘では、ハマスと「イスラム聖戦」がここからロケット弾を発射し、イスラエル軍が応戦した。アル・ジャディーダ地区は、最前線となったのだった。
地区の中心部に病院と老人ホームを併せた医療・福祉施設がある。ハマスが設立、運営する「エル・ワファ・ソサイェティー」の施設だ。
戦闘が始まった翌日の12月28日、イスラエル軍から病院に電話がかかってきた。看護士のケハズ・アルマドホーンさん(23歳)がその受話器をとった。「患者たちを連れて病院から去ってくれ」という内容だった。以下、アルマドホーンさんの証言を続ける――
年が開けた1月14日からイスラエル兵による狙撃が始まった。翌15日早朝からは戦車からの砲撃に変わった。入院中の13人の患者を避難させなければならなかった。
アルマドホーンさんは国際赤十字に助けを求めた(患者の搬送を依頼した)。だが国際赤十字は拒否した。「至る所にイスラエル兵が配備されており、怖くて近づけない」という理由だった。
病院の救急車で最初に6人、2回目に7人をガザ市中心部の医療センターまで運んだ。泣き叫ぶ患者もいれば、震えが止まらない患者もいた。アルマドホーンさんは「落ち着いて。心配ないから」と患者たちに言い聞かせた。1人の死傷者も出なかった。
病院と老人ホームは戦車の砲撃で壁に大きな穴が空き、弾痕で蜂の巣のようだった。
2002年には病室で治療にあたっていた看護士2人がイスラエル軍の狙撃兵により射殺された、という。
戦争で病院が攻撃されるケースは珍しくない。病院をカムフラージュに兵器を貯蔵したり、戦闘員が立てこもったりするからである。
「エル・ワファ・ソサイェティー」の場合、ハマスが運営する病院ということで、イスラエル軍が容赦ない攻撃を加えたようだ。