住民やボランティアが復旧作業に懸命の汗を流す倉敷市真備町。避難所に充てられた岡田小学校体育館に着くと、「総理被災地訪問」のIDを首からブラ下げた内閣府の役人や警察関係者がウヨウヨいた。
体育館の中に入ると、ニヤニヤした顔で避難住民に話しかける安倍首相の姿があった。
マスコミがステージの上で鈴なりになっていた。マスコミとは記者クラブのことである。田中と助手の倉持は体育館の床を這うようにして取材を続けた。記者クラブに見つかると、当局にチクられて排除されるからだ。
「取材者と気づかれないようにして首相に近づき、住民との会話内容を聞いてくれ」と倉持に指示を出した。
田中はやや離れた場所から首相を撮影した。ファインダーの中には避難住民を労うフリをする安倍晋三がいた。目に全く温かみがない。災難にあえぐ住民の気持ちなんぞ気にも留めていないことを、その目は物語っていた。田中は数カット撮る度にカメラを隠した。
ステージ上に群がるマスコミを撮影するのは、最後にすることとした。マスコミにカメラを向けるのは、自分の居場所をマスコミに教えるようなものだからだ。
10分くらい経っただろうか。防災服を着た小太りの中年男がトコトコと近づいてきた。特徴のある頭髪と顔つきで佐伯耕三・首相秘書官であることが瞬時に分かった。衆院予算委員会(4月11日)で質問中の玉城雄一郎議員にヤジを飛ばしたことで一躍有名になった御仁だ。
佐伯秘書官は「メディアの方でしたらステージの方に行って下さい」と告げて来た。田中と倉持はとりあえず体育館から外に出ることにした。
ケガの功名とはこのことだった。体育館の玄関付近からステージの方を見ると、まるで映画のセットのような光景があった。安倍首相側は「慰問の絵」を作り、マスコミは官邸の意向に沿って撮影、報道していた。田中は映画のセットを写真におさめた。
やるべき仕事がまだあった。安倍首相への直撃インタビューだ。記者クラブは権力者の嫌がることを質問しない。
体育館の玄関で息を潜めて待った。吐く息、吸う息の音さえ気づかれたくなかった。見つかればまた排除されるからだ。倉持にカメラを持たせ、田中は地元住民を装った。
しばらくすると首相は玄関に出てきた。靴を履き終えたところで、田中は質問をぶつけた。内容は前稿に記した通りだ。
官邸は首相の「やってる感」を演出するために記者クラブを利用する。新聞・テレビ報道は忠実に応える。フリージャーナリストが権力の実態をあばくには、記者クラブの目を かい潜ら なければならなかった。
~終わり~
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今月は地方取材が立て続いたため台所が厳しくなっております。現場に足を運ぶことで、安倍政権の酷い実態を暴き出してきました。真実の報道を続けるには皆様のご支援が必要です…
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