在任期間7年8ヶ月の最長記録を持つ佐藤栄作首相は、退陣(1972年)の記者会見で「新聞記者は出て行け、偏向している新聞は嫌いだ、私は直接国民に語りかけたいんだ」と言い記者たちを追い出した。
ガランとした会見場でテレビカメラに向かって一人滔々と語る佐藤首相の姿を、当時高校生になったばかりの筆者は食い入るように見つめていた。
今のようにVTRが発達している時代ではないので簡単に編集はできない。テレビは中継カメラからの映像と音声をライブで流すしかなかった。途中で打ち切るのは勝手だが、編集はできなかった。
「出て行け」とまでは言わないが、岡田克也外相が20日の定例会見で新聞記者に苦言を呈したーー
「私の発言が正確に受け取られていないことが最近いくつかあって…(中略)…私の発言は正確に引用して頂いたうえで『こう判断する』と記者の判断であることが分かるように記事にして頂きたい。私が言った趣旨とは違う勝手な解釈をして書くようなことは止めて頂きたい」。
核の先制不使用とインド洋での給油をめぐる発言を伝えた新聞記事が自分の意図とは異なる、と岡田大臣は不快感を示したのである。
記者は記事に仕立て上げるために際立てて書くのが習性だ。会社のデスクがさらに独自の解釈を加えたりする。オリジナルの発言とは随分違ったものになることが多い。発言した側にすれば「俺はこんなこと話してないぞ」ということになる。
佐藤首相の時代と違って、今ではテレビもVTRと編集技術の進歩により自由自在に編集できる。番組コーナーの意図に沿って発言をほんの数十秒だけ切り取ったりつないだりしている。自分が取材した記者会見の様子が後でニュース番組で紹介されるが、「あれっ!?この政治家が強調していたのはこれではないぞ」と思うことが少なくない。
今の世で発言が一部始終そのまま受け手に届けられるのはインターネット・ライブくらいのものだろう。ネットの効用に気づいているのが岡田外相だ。
前回(16日)の記者会見で大臣は記者もマイクを使うように要望した。「インターネット中継で質問の声が聞き取れないから」と理由を説明した。
にもかかわらず、霞クラブ(外務省記者クラブ)の記者たちに進展は見られなかった。20日の会見で大メディアの記者たちは相も変わらずボソボソとした声で質問した。3人目のところで大臣は報道課長に「マイクを回さないんですか?」と質した。「インターネット中継で質問の声が入っていないので」と再び説明した。
大メディアの記者たちは「インターネットなんて俺たちには関係ねえ」と無視を決め込むはずだった。だが大臣の強い要請でマイクを使わざるを得なくなった。記者クラブの抵抗は打ち砕かれた。
発言をそのままライブで伝える主役は、テレビからインターネットに変わった。だがクラブ詰めの記者たちは、いまだに時代の変化について行けないようだ。
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