田中角栄元首相の秘書で越山会の女王と呼ばれた佐藤昭さん(本名=昭子)が死去した。81歳。角栄さんの愛人で越山会の金庫番でもあったことから組閣や選挙にも口を出す“実力者”だった。
「やりすぎではないか」。自民党のご意見番の西村英一・副総裁が角栄さんを諌めたところ、それが佐藤昭の耳に入った。思い上がりの頂点にいた女王は怒り心頭に発する。80年の衆院選挙で西村の選挙区に建設官僚を出馬させ、湯水のごとく金をつぎ込んだのである。
西村副総裁は落選の憂き目に。西村副総裁は七日会(田中派)の初代会長である。“合法的”な立場にはない本来ならば日陰者の「愛人」が、派閥のリーダーにして自民党のナンバー2を追い落としたのである。この頃から田中派のタガは人知れず緩み始める。
85年、竹下登が金丸信、梶山静六、橋本龍太郎ら有力議員と共に創政会を立ち上げた。角栄さんにしてみれば、苦労して育てた子分を持ち逃げされたようなものだ。たまったものではない。深酒に溺れるようになった。毎晩オールドパーを一本空けるほど通飲していた、という。当然、老体にこたえる。間もなく脳梗塞で倒れた。
角栄さんが救急車で運ばれた先は逓信病院だった。私立の病院であれば病状を隠し通せるが、郵政省の病院だから官僚を通じて簡単に抜けた。その晩のうちに嗅ぎつけたメディアもあった。翌日にはマスコミ各社の知るところとなり、政界は「角栄抜き」で動き始める。
脳梗塞の後遺症で角栄さんは車椅子の人となり、政界で再び影響力を行使することはなかった。息子同様に可愛がった小沢一郎氏(現・民主党幹事長)らが自民党を飛び出した93年に角栄さんは永眠する。これも因縁だろうか。
低学歴で叩き上げ最高権力者まで登りつめた角栄さんが『今太閤』ならば、佐藤昭は明らかに『淀君』である。『今太閤』と『淀君』は政界だけの話ではない。
一代で会社を築きあげた社長の愛人が、人事や経営方針に容喙し組織をガタガタにするケースは世間にゴマンとある。権力は男が血のにじむような努力でつかんだものだ。にも関わらず女もそれを共有していると錯覚した時、悲喜劇が生まれる
*海外在住の皆様も、日本の皆様も、ご自宅から*
オンライン決済サービス Square上で、クレジットカードによる『田中龍作ジャーナル』へのご寄付が可能となっております。
お手元のPCやスマホから手軽に振込めます。面倒な登録は一切ありません。深夜でも可能です。
[田中龍作の取材活動支援基金]*ご自宅から何時でも、24時間 御支援頂けます*
Twitter